Favorite Banana Indians

Mail

二丁目のグッドバイ(開店花火)

ホーム>レビュー>二丁目のグッドバイ(開店花火)

二丁目のグッドバイ(開店花火)

~観劇日・劇場

2003年6月27日 シアターモリエール

~作・演出・出演

  • 作・演出・出演/平田侑也
  • 出演/小松ぴろこ・和田ヨシヒロ・市田イサム・瀬戸山薫・松尾美香・堀口大介・浅田直美・内山雅庸・由比英士・鯨井康介・吉成容平・小野口友美・森下菜美・大矢純子・夕起ゆきお・徳元直子・田中伸一(アクト・ビガン)・本多智(劇団ラムネ堂)

感想

ハートハートハートハートハート

二丁目のグッドバイ開店花火第6回公演は、劇団としての原点回帰が一つの大きなテーマだったそうである。「笑えて、泣けて、何処か懐かしい」というのが開店の世界だとのことなのだが、今回の舞台はその看板に偽りなし。まさにそれそのものを形にしたという感じだった。
 とある町の二丁目の路地裏。一軒家の市田家の主(市田)はサラリーマン。毎朝妻(浅田)に追い立てられて、出社拒否寸前の状態で出勤する。市田家の三姉妹(松尾・小松・小野口)はナンパに燃えている。そして同居している市田の父で元映画監督の爺様(田中)は惚けており、今でも撮影現場にいる錯覚の中で暮らしている。そんな爺様を妻は疎ましく思い、老人ホームに入れようとしている。中学生の長男(鯨井)はバラバラになりつつある家族に胸を痛めつつ、向かいのアパート・ハジメ荘の徳元家の同級生の娘に密かに思いを寄せている。そんなある日、ハジメ荘に売れない小劇団「節穴」の団員達(堀口・本多・内山)が越してくる。彼等は市田家の三姉妹に一目惚れし、町内肝試し大会でゲットしようと目論む。その3人に、市田は「節穴」の団員にしてくれと頼む。一方妻は夫に愛想を尽かし、ハジメ荘の「ウザい」さんこと作曲家の和田と密会を重ね、ついには家を出てしまう。こうしてバラバラになりかけた家族だったが、妻は罪の意識と和田の暴力に耐えかねて再び市田家へ。しかし、爺様の老人ホーム入居の日がやってくる。
 今回は舞台装置を見ながら脚本を書いたと平田が語っている通り、上手手前に市田家、路地を挟んで下手奥にハジメ荘という配置が、劇の構造とぴったりはまっていて効果を上げている。舞台の中心にある路地に置かれたベンチに、平田家の「一員」であるジョージ(平田)と、劇団員に連れられてきたアン(瀬戸山)が座り、平田家・ハジメ荘それぞれの人間模様とその交流を見続けるという図式もうまい。実はこの2人が人間ではなく猫だと分かるのは劇の中盤だが、人間の世界の波瀾万丈を目の当たりにしながらそこに参加できないもどかしさと疎外感が、過去に閉じこめられ、周りから疎ましがられる爺様のそれとシンクロする戯曲構造になっている。このあたりはよく考えられている。また、こうした芝居では難しい日時の経過を客に伝えてる役目を、通りがかりのセールスマンに託している仕掛けもさり気なく効いている。
 こうした劇構造を支える人物造形もなかなかに魅力的だ。特にハジメ荘の住人達の個性がはっきりしていて、それが舞台を生き生きさせている。中でも「自称」作曲家の和田と、一戸建てに住む市田家に激しく嫉妬しながら、市田家に災難が降りかかるとそれを本当に朝ご飯のおかずにしてしまう‘庶民代表’徳元家の妻(徳元)など、漫画チックなキャラクターとしては秀逸だ。町内肝試し大会の予行演習での「怖い話」披露会や、劇団員3人と三姉妹の別れのシーンでの落とし方など、笑いの部分はさすがに堂に入ったものである。
 そんな中で惜しいなと思ったのは、爺様の最後の監督作品の絡ませ方と、爺様が老人ホームに去った後のラストシーンである。前者のことは、途中のシーンで妻に逃げられた市田の挫折感と絡めて語られるのだが、特に後半に向かってこのモチーフが繰り返し出てくるとより効果的だったと思う。また、ジョージが天寿を全うし、爺様が去った後の路地に、翌日から何事もなかったかのように日常が展開していくというラストシーンには首を傾げた。この脚本のひとつのポイントが爺様であることは疑いがなく、だからここに力のある役者が配置されたのだが、この終わり方だとその存在がまるでなかったかのような扱いになり、皮肉にも爺様の疎外感を裏付けることになってしまう。新たな日常が展開するのはいいのだが、その中に爺様の存在の残像が何処かに感じられるような仕掛けが欲しかった。そうすれば、ジョージに代わって一人(一匹)で路地を見続けることになるアンの存在がさらに効果的になった筈だ。爺様の最後の処理の仕方でこの脚本にはさらなる深みが出たことは間違いなく、劇団のカラーの問題もあるだろうが、僕としてはその点が気になった。
 役者はみな好演で、中でも和田は‘怪演’といっていいかも知れない。が、市田・浅田夫妻をはじめ他の役者達も押さえるべき所はきちんと押さえており、全体のバランスはすこぶるよい。平田が役者一人一人の持ち味をよく心得ていて、それを最大限に生かしており、また役者達も平田の戯曲の文体と演出をよく体現している。その平田はこれまで見た芝居とはひと味違うポジションだが、アウトロー的でエネルギーは有り余り、そのくせどこか寂しげな彼の佇まいによくはまっていた。彼と絡む瀬戸山も、前2作のように笑いを背負わない分、どこか不思議な雰囲気がうまく生かされていた。そして、爺様を演じた客演の田中は別格の演技。彼の力で舞台は引き締まり、ストーリーに求心力が生まれた。計算された見事な力業だった。
 この舞台は、開店花火としては「成功作」に挙げられると思う。作・演出の平田と役者・スタッフの呼吸がピッタリと合った劇作りができていることが伺われ、劇団としてのパワーが感じられる。テンポのよい芝居は見ていて小気味よい。これで先に書いた「深み」や「苦み」が表現できるようになれば、開店花火は上質なエンターテインメントを提供する劇団としてさらに成長していくだろう。