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天使は瞳を閉じて

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2003年11月15日 ルテアトル銀座

~観劇日・劇場

2002年11月13日 ベニサンスタジオ

~作・演出・出演

  • 作・演出・作詞/鴻上尚史
  • 音楽プロデュース・作詞/森雪之丞
  • 音楽ディレクター・編曲/西平彰
  • 出演/佐藤アツヒロ・天野ひろゆき・純名りさ・辺見えみり・風花舞・生方和代・根田淳弘・橋本さとし・京晋佑・大高洋夫 他

感想

ハートハートハートハートハート

今年に入ってミュージカルづいている鴻上。夏は童話が原作の「シンデレラ」だったが、これは鴻上自身のかつての作品のミュージカル版という位置付けだ。もともとの作品が結構好きだったので、それがどう変わるのかが注目点だった。
 原作の冒頭、人類の社会が崩壊した後、辛うじて残った人々が街を作るくだりは省略され、映像で廃墟が写されるように変更された。そして、すぐに天使1(天野)と天使2(純名)のやり取りになる。といっても、ここから既にM1なのだ。2人はフライングしながら歌ったりする。
 2人の天使は神様への報告書を作成するのが仕事だが、受け持ち区域に人間がいなくなったことで虚しさを感じていた。しかし、ある時僅かに残った人達が、透明な壁に囲まれた地域で小さな街を作っているのを発見する。そこでたまたま行われれていた街の住人であるロックシンガーのユタカ(佐藤)とマリ(辺見)の結婚式の会場で、感激した天使2は突如「人間になる」と宣言し、本当に人間の姿になって会場に現れてしまう。テンコという名を名乗り、バーのマスター(大高)の下で働くようになった天使2は、進化の話を語りながらイベント会社に勤める太郎(橋本)や、テレビ局の辣腕プロデューサー・トシオ(京)、自称「アーティスト」でありながら表現が全く受け容れてもらえないケイ(風花)等の様々な人間模様を見ることになる。そして、天使1もそれを見守る。ユタカは1曲ヒットを飛ばしたもののそれ以降は売れなくなり、逆にマリはひょんなことから出演したドラマが当たって売れっ子女優となる。そのマリに、メディアグループの「議長」という名のトップにのし上がったトシオが近付き、ユタカはケイにシンパシーを感じるようになる。そんな中、トシオはついに街の人達の念願である「壁を超えよう」という大イベントを開催するとメディアを通じて発表。ユタカとケイはその日にロックコンサートをぶつけてイベントに抗議しようと計画する。そして、ユタカを殺人者にしてビッグするために、ケイは自らの命を絶つ。
 初演は80年代の終わりだったので、その頃から社会の情勢が変化しており、それに見合って台詞が書き換えられたりしている。それでも根底に流れているものは変わらない。その意味で、「天使は瞳を閉じて」という作品自体はまだまだ生きているのだと思う。
 しかし、それをミュージカルにすることがどうなのかと言われると、僕は正直言って首をかしげる。「小劇場のようなミュージカルを作りたい」という鴻上の意図はよく分かったし、楽曲も所謂ミュージカルの音楽とは違う感じになってはいた。が、僕が不満だったのは、その楽曲が登場人物の「内面」を歌ってしまうようなものが多かったことである。歌が台詞になったり、歌で内面を告白したりするのがミュージカルの特徴なのだが、僕としてはそこまでしてほしくない。役の気持ちは、役者の台詞回しや表情、仕草で見せれば十分。それ以上は単なる「説明」である。
 また、確かにこれまでの鴻上作品の中では「天使…」が最もミュージカルにアレンジしやすいものだと思うが、それでも僕には歌はただの余分な要素にしか見えなかった。そもそも鴻上の劇的世界がミュージカルという形式に適合しているのか、根本的な疑問を感じた。
 役者は確かにみんなそれなりの水準を保っている。天使1の天野、そして元々鴻上戯曲の出演者だった大高、京ははまっていた。が、他はみんな健闘はしているものの、どうもしっくりきていないというのが率直な印象だ。
 結局のところ、従来の鴻上作品をミュージカルにするというところに違和感があり、そうなると全てがちぐはぐに思えてくる。それが最後までぬぐいきれなかった。昔からのファンとしては、この作品はやはりストレートプレイで見たかった。そして、もし鴻上が本当にかつて小劇場界で起こしたような旋風をミュージカルでも起こしたいなら、その形式に適合した「新作」で臨むべきであろう。