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ふゆるり

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NO BRAND「ふゆるり」

~観劇日・劇場

2008年12月19日 現代座劇場

~作・演出・出演

  • 作/岩本憲嗣
  • 演出/高津美萩
  • 出演/宗昌輝・高橋ミサト・佐藤正太・柚木綾介(あいでんてぃてぃ)・大澤朋恵・中野工(花やしきアクターズスタジオ)・藤村朋世・浜町知大(花やしきアクターズスタジオ)・岸厚志(After6)・窪田智美・谷岡友和

感想

ハートハートハートハートハート

ふるゆるりこのところ毎月のように何かしらに登場するマンスリーアクトレス・窪田の、今年最後となる出演作である。
 今回は「大人の役」だということで、どんな感じになるのか、期待して劇場に向かった。

 ストーリーは、売れっ子漫画家・大野なつめ(高橋)のアシスタントである西窪大介(宗)を中心に展開する。
 クリスマスの日、仕事に行き詰まっていたなつめは西窪に運転を任せて海へと向かうが、途中で事故を起こしてしまう。
 なつめは右腕が使えなくなり、手術の後も眠り続けている。
 自分を責める西窪を、出版社の編集者・我孫子(佐藤)が訪ねてくる。西窪はその出版社の新人賞に3ページだけ書いた原稿を送っていた。我孫子は、是非その続きを読みたいという。
 西窪の書いた漫画のストーリーは、事故にあったなつめが入院した病院でなつめの主治医を務める田頭(中野)とその娘で看護婦の昭美(藤村)が、迫っているなつめの弟・知佳(柚木)との結婚式場の下見をしている場面から始まる。
 海が一望できるホテルのレストランを借り切るということで、昭美達は満足するが、何故かもう1人の当事者の知佳が現れない。なつめは知佳に連絡をとるが、知佳は「結婚を中止したい。」とだけ告げる。そして、元なつめのアシスタントで独立してイラストレータとなった新川(窪田)に弟子入りしたと言う。
 その夜、昭美は新川の家を訪ね、知佳とインターホン越しに話をするが、知佳は多くを語らない。
 実は、知佳は「青の魔術師」と呼ばれるほど、青を使ったデザインが得意なデザイナーだったが、色覚を徐々に失いつつあったのだ。それで、画家として再出発しようと新川の門を叩いたのだった。
 なつめは知佳を翻意させようとするが、知佳の決意は固かった。
 このストーリーは、実は眠り続けるなつめの夢で、西窪にはその夢を読み取る力がある。「これは自分と大野先生の物語だ。」という西窪に、我孫子は「あなたの脚色が入っているのではないですか?」と問い詰める。
 そして、夢に登場するなつめのアシスタントの1人、久保(谷岡)が西窪の分身(創作)であることを白状させる。それは、常になつめの側にいて、役に立ちたいと思っている西窪の思いを体現したキャラクターだった。
 同じように、昭美も知佳の側にいて、力になりたいと思っていた。結婚式当日、降りしきる雨の中、知佳と昭美が初めて会話を交わした有明の海へ、新川の車に乗って昭美は向かう。そして、自分の思いを告げる。
 これを見ていた西窪も、なつめに自分の意思を伝えるのだった。

 芸術をモチーフにした恋愛物語である。劇中に何度も「才能」という言葉が出てくる。新川がなつめのアシスタントになったのは、自分にはない「才能」を持っていると感じたからだったし、西窪が夏目を前に気後れしていたり、作品を全部応募しなかったりしたのも、自分に「才能」がない、と感じたからだった。また、知佳が自暴自棄になったり、新川に弟子入りしたりしたのも、それまでの才能を失ったことが原因だった。
 この作品では、とかく個人個人のものと思われている「才能」を、大切な誰かと共に再生しようとする人物達が描かれている。昭美は前職の経験を活かすことで、青を見分けられなくなった知佳の「目」になろうとする。自分も活かし、相手も活かす。1人では無理なことも大切な「あなた」とならできる、作者はそういうメッセージを伝えたかったのだろう。
 最後の最後になって、これが「予知夢」だと言うことが分かる。これは面白い設定である。
 ただ、ラストシーンで「この海のように、僕達を見守ってくれている存在」と言及される久保の立ち位置がまるで背後霊のようだったのは、ちょっといただけない。例えばセンター後ろで背中を向けて立っているシルエットにするなどの方法は考えられなかったのだろうか。
 久保はキーパーソンの1人だが、本編ではあまり台詞が多くないため、それ程目立たないからだ。
 また、脚本上で致命的と言える矛盾点がある。それは、劇中で度々言及され、物語のキーになる「海の色」だ。
 この「海」、舞台はお台場や有明になっている。ときに荒れたりしているが、基本的には「瑠璃色」をしていると何回も言われる。しかし、何せ東京湾である。いくら綺麗になったとはいえ、「青の魔術師」が描く程の美しい「青」を期待するのはどだい無理ではないか。
 せめて、東京から車で行かれる房総や三浦、伊豆あたりにできなかったものか。しかし、そうすると様々な場所の位置関係に狂いが生じてくる。病院と結婚式場からは同じ海が見える設定だからだ。そうなると、これは東京の物語ではなくなってしまう。が、出版社やイラストレータ、漫画家などは東京近辺にいなければ仕事にならない。
 そしてもうひとつ、初めて知佳と昭美が話をしたとき、それはクリスマスイブで雪が降っていたことになっている。また、ラストシーンでも、同じクリスマスイブで「瑠璃色の海」に雪が降る。美しいラストだが、ちょっと考えてみてほしい。雪が降るということは、空は雲で覆われている。ということは、海もまた、空の色を映して「灰色」なのではないだろうか。
 「瑠璃色の海」に雪が降るという状況は、設定としてあり得ないのである。
 せっかく物語の中で昭美の誕生石の色など「青」というモチーフをうまく使ってきたのに、そのことが思い浮かんだ瞬間に全てが崩れてしまった。
 これは「お話」もしくは「シーン」を技術的にうまく創ろうとして失敗してしまった典型的な例と言えよう。
 物語の大枠自体が「他人の夢を見られる」とか「予知夢」とか、現実にはあり得ない設定を使っているので、その中身についてはもっと緻密に、神経を使って組み立てるべきである。
 タイトルの「ふゆるり」は、「冬の瑠璃色の海」ということだろうが、それ自体が(あの設定では)あり得なかったという、お粗末な結果となった。
 物語自体は適度に入り組んで謎めき、楽しめただけに、その点が残念である。

 役者は、田頭の中野が、パワー、キャラの立ち方とも頭一つ出ていた。また、問題の「大人な役」の窪田は、なつめより年上に見えるかと言われればやや苦しいが、それでも「お姉さん」的なキャラを好演していた。
 全体的に気になったのは、役者の声量のレベルが統一されていないことだ。人によって結構差があり、聞きにくい印象を与えた。僕としては、中野や佐藤、窪田くらいの声量で統一するのが適当かと思われる。
 もう一つ言えば、セットが具象と抽象の中間くらいで、どっちつかずに見えてしまった。
 この芝居は、場面が海岸になったり病院になったりなつめの仕事部屋になったりと、あちこち移動する。それを考えると、もう少し抽象よりでもよかったと思う。
 例えば、椅子にしても、ソファではなく、もっと無機的なものにしてしまえば、それが演技によってソファになったり車の座席になったりするのが見えやすい。また、ドアフォンがずっと舞台にあったが、使ったのはワンシーンのみ。こういう場合は具体物ではなく、例えば2人とも正面芝居でマイムでやるとかにした方がよい。
 照明で場所を区切ったりするやり方もあったと思うが、現代座の照明設備でそれが可能だったのか分からない。ただ、海の場面とか、正面で2人の役者が話すシーンは、照明ではっきり抜いた方が美しい。

 いろいろ書いたが、全てテクニカルな問題である。「才能」の話を出されると僕も弱い。結構時間を忘れて見入ってしまった。
 本来は西窪の覚醒のお話なのであるが、僕的には昭美の健気さが印象に残った舞台だった。