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月光のつつしみ

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月光のつつしみ(竹中直人の会)

~観劇日・劇場

2002年12月16日 本多劇場

~作・演出・出演

  • 作・演出/岩松了
  • 出演/竹中直人・桃井かおり・坂井真紀・篠原ともえ・北村一輝・岩松了

感想

ハートハートハートハートハート

月光のつつしみ岩松了という人の作品を僕は今まで一度も見たことがなかった。岸田戯曲賞受賞作家なので気にはなっていたのだが、所謂‘静かな演劇’に分類されるということもあって何となく敬遠していたのである。しかし今回、何故か思い立って見ることにした。しかも、今回の出演者はその殆どが映像でしか見たことのない人達で、なおかつ桃井かおりと竹中直人は相当曲者の役者さんである。まさに未知との遭遇という感じで、劇場的には非常に懐かしい本多に足を運んだ。前から2列目のセンター近く、この手の芝居を見るにはベストポジションである。
 成る程、‘静かな演劇’だけあって、ストーリーはあってないようなものだ。あるシチュエーションの中に置かれた登場人物達の関係性を、一件些細な日常会話の中で、これでもかと描いていく感じである。
 外界から孤絶されたような雪深い山奥の一軒家が舞台だ。この家の主・民男(竹中)を訪ねて、民男の幼馴染み・宮口(北村)とその婚約者で妊娠中の牧子(坂井)がやってくる。冒頭は2人の会話だが、本当は幸せの真っ直中にいる筈の2人の関係が妙にぎくしゃくしているのが描かれる。そこに民男が登場し、宮口とは幼馴染みではあるが、その婚約者である牧子に、民男は実は仄かな好意を抱いているのではないかと思われるような会話や、宮口との関係で孤立しそうになっている牧子がまるでそれに縋るように民男に呼応したりする。そこへ郷里の家を出て、仕事(教職)を辞して同居中の民男の姉・直子が帰ってくる。宮口は幼い頃、幼稚園に送り迎えしてくれた直子に憧れを抱いており、直子も宮口をかわいがっていたということが2人の久し振りの再会の喜びの振る舞いの中で語られるが、民男はそれを強く制する。後の方でも描かれるが、民男は姉に対して、親族に対する親近感以上のものを抱いていて、どうやら宮口に嫉妬しているらしいことがにおわされる。そこに買い物から帰ってくるのが、民男の新妻・若菜(篠原)である。
 こうして登場人物達が、互いに日常会話を交わしながら、それぞれの置かれている状況がさりげなく語られ、それについて登場人物達が交わす言葉や振る舞いを通して、それぞれの微妙な関係性が立ち現れてくる。仕事のことで宮口が携帯で呼び出されていなくなっている間に、台所に立った牧子が手首を切ってしまったり、直子が教職を辞したのは、どうやら教え子との間に何事かあったためらしいということが分かったりするが、それ以外には事件らしい事件は起きない。つまり、これは徹頭徹尾人間の「関係性」を見せる芝居なのだ。雪に閉ざされ、何故かトイレとバスルームのドアが壊れてしまって部屋に音が丸聞こえの一軒家という閉塞感の漂う空間で、誰もが相手の言葉に敏感に反応し、その反応が波紋を広げ、そこから新たな関係性が立ち上がってくると、それに対してまたみんなが反応して新たな波紋を広げる…といったことが繰り返される。これは、極めて写実主義的な手法だといっていい。ただし、同じく関係性の演劇を標榜する青年団の平田オリザの劇的世界に比べると、登場人物に血が通っていて、舞台に載せてみるとこちらの方がかえってリアリティがあるように見える。
 ラストシーンは、直子がヒステリックに外に放り投げたものを、月光の下、姉弟が雪の中ではしゃぎながら探す光景を、若菜が窓越しに佇んで眺めているというものだが、姉弟の会話は声だけしか聞こえず、若菜もちょうど足しか見えない位置に立っている。つまり、舞台に人の姿がないように見えるのだ。これにはちょっと意表をつかれた。
 こうした微妙な関係性を表現するこの作品には、やはり映像で活躍する役者さん達がはまっている。まさに映画と芝居のテイストがうまくマッチしたという感じである。特に竹中と桃井の存在感と巧みさは、舞台でもちゃんと生きている。また、篠原がテレビの賑やかなキャラからは想像もつかない静かさ(?)で若菜を演じているのが新鮮で印象的だった。
 台詞のニュアンスを使って人間関係を微に入り細を穿つように表現する岩松戯曲は、竹中や桃井のような力のある役者が演じることで凄みを発揮するのだと思う。基本的に役者で見せる芝居で、華やかさや高揚感などはないものの、どこか後を引くような余韻が残る。この感覚は癖になりそうである。これは再演だそうで、初演は竹中・桃井の他は全く別キャストだったという。そちらも見てみたかった。
 ただし、やはりこの手の芝居はできるだけ前の方の席で見た方がいい。役者は魅力的だが、それでも広い劇場でやっても映える芝居ではない。本多あたりがギリギリのラインだと思われる。