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Pillow Talk 

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Pillow Talk / HOTSKY

~観劇日・劇場

2003年10月12日 阿佐ヶ谷北アトリエ(温室)

~作・演出・出演

  • 作・演出/釘本光
  • 出演/釘本光・佐藤右京・中島知美・増永匡史(CAST C)

感想

ハートハートハートハートハート

pillow talkHOTSKYは98年から活動を続けている息の長い劇団である。主宰の釘本は何と子育て中の主婦だそうである。仕事をしながら芝居をやっている人は結構いるが、主婦で、しかも「市民劇団」のような形態ではなく芝居を続けている人というのはあまり聞いたことがなかった。そんな事情と、ネットでこの劇団の役者の方と知り合いになったことから、今回初めて見せていただくことになった。
 そして、いきなり場所が「温室」である。一体どんな使い方をするのかと興味津々で行ってみた。すると、内部の大部分を演技スペースとして使い、少数の客席がL字型に設置されていた。僕が行ったのはマチネだったが、照明らしき物は温室に備え付けの蛍光灯のみ。勿論、昼間なので自然光だった。音響は、小さなラジカセが置いてあって、役者が演技の中でかける曲のみ。まさに空間の雰囲気と、役者の演技だけで見せる芝居だった。
 温室をアトリエ兼画廊にして、何故か海の絵しか描かない亮(佐藤右京)と、彼の元に身を寄せている綾(釘本)。ある日、その画廊を1人の男・敬明(増永)が訪れる。敬明は、綾の娘・真波(中島)との婚約を綾に報告しに来たのだった。実は綾は、現在の夫と離れるために家を出て、亮のアトリエに来ているのだった。そんな綾の行為を、真波は許せず、何故優しかった父親を捨て、家庭を壊してしまったのかと責める。綾は、家には二度と戻れないが、亮と結婚するつもりもないという。綾の気持ちが理解できない敬明と真波。綾は、彼女の過去と、「家族」と「女」の間で揺れ動く思いを少しずつ語っていく。
 「大人」の芝居である。一見すると「静かな演劇」の系譜かなとも思えてしまうのだが、登場人物達はみなエモーショナルだ。特にスポットが当たっているのは綾で、彼女の生き方、考え方に共感できるかできないかで、この作品に入れ込めるかどうかが決まってくるという性質の芝居であると思う。彼女が「家族」を維持するために忘れようとしていた「女」を取り戻そうとする行動と、まさにこれから「家族」を作ろうとしている真波と敬明が対照的に描かれるが、その主張のぶつかり合いを通して、「女の生き方」や「幸せ」について考えさせられるという作りだ。綾の心情を丁寧に追っているところがいいのだが、シーン的に動きが少ないため、中盤ややダレ気味に感じられたのも事実である。けれど、「思い出」の再現としてのセックスという関係を一歩進めて、精神的にも寄り添える関係になっていく綾と亮の姿を見せるラストは印象的だ。「女」の内面をかなりさらけ出す、渾身の力作である。
 また、マチネの印象では温室という空間が不思議に生きていたと思う。温室の出入り口は道路に面していて、カーテンを開けておくと外の日常の光景がそのまま目に入ってくる。また、当然外の音も聞こえてくる。普通なら芝居の演出を妨げかねないこのロケーションが、「日常」と地続きになっていて、なおかつ隔離されているというこの芝居の性質と、綾と外の世界の関係を見事に象徴していた。題材と場所のマッチングという点からは、釘本演出ははまっていたというべきだろう。また、濃密な空間だけに空気感が伝わりやすく、劇中で実際に入れられるコーヒーの香も生かされていた。
 キャストは、今回3チームに分かれていて、僕が見たのはCだった。釘本は、自分の実感の一部を込めたに違いないとはいえ演じるには難しいこの役を、説得力があり大人の色気を感じさせる演技で見せていた。「女」であるが故の切なさや苛立ちなどが、リアルに伝わってきて胸を打たれた。また、彼女を最終的には受け容れる亮の佐藤も、台詞は少ないのに表現すべきことは意外と多いという難役だったと思うが、寡黙で表情に乏しいのに確実に何かが伝わってくる演技だった。増永の直向きさと中島の真っ直ぐな感じは、若い2人の純粋さをよく表現していたが、2人ともまだ演技に固さが残っているという印象である。増永は、婚約者の母親にある種の遠慮をしながらも自分の思うところを主張していくという微妙なニュアンスがもう少し出るとよかった。
 少数のキャストで心情を細やかに見せる。決して派手さはないが、心に残る舞台だった。HOTSKYはいつもはもう少し賑やかな芝居をやっているようで、その意味ではこの作品は異色なのかも知れないけれど、こういう路線も結構いいのではと思う。何より、「生活者」と「表現者」の二足のわらじを履いている者でなければ決してできない独自の表現になっているところがよい。
 また、今回はひとつのチームしか見られなかったが、他の組み合わせのキャストで演じられた時、また夜間の傾向の下で見た時に、この芝居の印象がどう変わったのか是非見てみたかった。
 僕も社会人との二足のわらじを履いている立場として、それより困難な条件で活動を続ける釘本率いるこの劇団を今後とも注目し、応援していきたいと思っている。