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ワールドシンフォニー

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アタラシブロン「ワールドシンフォニー」

~観劇日・劇場

2008年11月9日 てあとるらぽう

~作・演出・出演

  • 作・演出 / 朽木晴彦
  • 出演 / 窪田智美・松山コウ・三浦惇・佐倉一芯(Creative Configuration)(東京凡人座)/宮尾征典/秋山江奈(unit-IF)/前田優次/馬場妙子/広橋尚/村木華子/藻瑚(unit-IF)

感想

ハートハートハートハートハート

ワールドシンフォニーこの劇団の芝居を見るのは2回目である。いずれも、2007年のFBIの芝居で大活躍してくれた窪田さんが出演していた。
 所謂ストレートプレーに属する芝居だと思うが、前回も今回も、テーマは重かった。けなしているわけではない。コント的な作品やシチュエーションコメディ全盛の最近の小劇場にあっては、貴重な存在であり、僕の作風とも通じている部分がある。

 父の死をきっかけに会社を辞め、資格を取ろうと夜学に通い始めた香菜(窪田)は、教師である永津(宮尾)を愛していると告白する。しかし、永津には吉良(秋山)という許嫁がおり、近々教師を辞めて田舎に引っ込むつもりであり、香菜の気持ちには答えられないという。しかし、香菜は納得しない。
 一方、香菜のクラスメートの和也(松山)は香菜に思いを寄せているが、香菜は全く相手にせず、「気持ち悪い。ストーカーみたい。」と酷い言葉を浴びせる。それでも和也は香菜を思い切れず、電話をかけたりして必死に香菜に追いすがる。
 和也の家庭では、両親がいないため、引きこもりの弟の文也(佐倉)が母親代わりとなって料理を作り、3人で食卓を囲むことを望んでいるが、和也が家を出てしまい、それもかなわない。
 香菜には、脳に障害を持って精神病院に入院している真奈(藻瑚)という姉がいる。真奈の主治医は今をときめく売れっ子の精神科医・岸田(前田)だ。岸田によれば、病院に運び込まれたとき、真奈には殴られたような痣があったとのことである。また、「夢を見ているような状態なので、そのままにしておいた方がいい。思い出さない方がいいこともある。」という。
 しかし、実は岸田は密かに真奈と性的な関係を結んでいた。
 また、香菜の周囲では、香菜の父親の死後、次々と人が死んでいた。香菜の父にパワハラを行い、死に至らしめた上司もその一人。実は和也の父親こそ、その上司なのだ。
 また、和也の父親の再婚相手の連れ子である智也(三浦)は、以前真奈と付き合っていた。しかし、智也が真奈にプロポーズしようとしたその日に事故は起きた。事故に智也が何らかの関係を持っていると思っている香菜は、智也を嫌い、姉の元を訪れることを止めろという。
 やがて、香菜の幼馴染みであり、以前真奈と同じ病院に入院していたことのある伊藤(広橋)が教祖である宗教法人「音の光」で伊藤の右腕である能登(村木)の調べであることが判明する。真奈が人物画を描くと、その人物が死ぬのだ。
 こうして香菜の指図によって真奈に描かれた吉良が死んだ。永津は心の穴を埋めようと一時的に香菜と関係を持つが、結局それではいけないと思い直し、吉良の双子の妹を伴って、香菜の前から姿を消す。
 その一方で香菜は、父親と姉の敵をとるために、和也の心を翻弄し、挙げ句の果てに異母兄弟である智也を殺させてしまうのだった…。

 非常に込み入った話である。
 登場人物の誰もが、誰かを愛しているのだが、それがことごとくすれ違っている。一方、永津と吉良を除く全ての登場人物が、誰かを憎んでいて、陥れようとしている。
 当パンに書かれた作者の言葉によれば、テーマは「再会」だそうだが、僕にはストレートに「愛と憎しみ」だと思える。その人の人間性がむき出しになる、相反する感情。それこそがこの2時間に及ぶ舞台(シンフォニー)の主旋律だったと思えてならない。
 作者の意図としては、こうして縺れた人間関係が同時多発的に悲劇を引き起こしている様を描きたかったのだと思う。ただ、若干盛り込みすぎの感も否めない。もう少しシンプルにしてもよかったのではないか。個人的には伊藤と能登が絡む「音と光」のエピソードはなくてもよかったのではないかと思う。
 また、これは意図的かも知れないが、真奈がどこまで狂っていて、どこまで正気なのかが分かりづらかった。最後の真奈と香菜の遣り取りや、ラスト近くの真奈と智也の遣り取りを聞いていると、実は真奈は演技をしている、という落ちなのかな、とも思えてくる。もしそれが当たっているとすれば、この作品で一番怖いのは主人公の香菜ではなく、真奈だということにもなる。

 役者陣はみな安定した演技で、前回に比べて安心して見ていられた。
 香菜役の窪田は今回も体当たり的な演技で、物語を引っ張った。かわいいルックスにもかかわらず、暗さと、時折どこか狂気を感じさせる目つきが、この物語にぴったりはまっていた。その優しげなルックスが、逆に非情な台詞を引き立てていた。ただ、和也に気があるふりをして彼を殺人へと導くときの演技には、もう少しゾッとするような隠れた不気味さがほしい。
 ただ、タイトルバックの映像で見せた、桜の花びらを握りしめるときの表情は、狂気の中に艶めかしさが漂っていてよかった。
 この映像(Creative Configuration制作)も格好良くて、作品にはまっていた。しかし、入るタイミングがもう少し早くてもよい。
 あとは、智也役の三浦がいい。表面上は粗暴な部分を持ちながら、実は優しさや、家族に受け入れられない寂しさを巧みに演じていた。
 もう一人のキーパーソンである藻瑚は、狂っているときは幼い感じ、正気に戻ったとき(?)は普通のテンションに戻していたが、振れ幅をさらに拡大すれば、もっと普通の状態の台詞が際だっただろう。

 真奈が人物画を描くとき、必ず桜の花びらを一緒に描くというエピソードは、事故が起きた日、実は彼女は父親にレイプされていて、その時桜が散っていたという理由からだが、ラストシーン、「愛してるよ、香奈ちゃん」「私も」という姉妹会話の頭上から桜の花びらが散ってくるところに繋がり、耽美的に物語は終わる。
 もう少し整理できるところもあるが、この物語は、たとえばパルコ劇場などでプロの役者が演じてもおかしくない。
 最後の桜が散るシーンなどは、大劇場で舞台中に降るところをみたいと思った。
 作者の朽木の人間と世界に対する眼差しにハッとさせられ、人を愛することや憎むことについて、いろいろ考えさせられた舞台であった。