Favorite Banana Indians

Mail

FAKE~偽りの顔~

ホーム>レビュー>FAKE~偽りの顔~

FEVER DRAGON NEO「FAKE~偽りの顔~」

~観劇日・劇場

2008年11月30日 笹塚ファクトリー

~作・演出・出演

  • 作・演出/黒蛇
  • 出演/樹・奥村友美(T.P.O.office)・仲澤剛志(Nine★Stars)・小林ともゆき(劇団宇宙キャンパス)・金子俊彦(『熊猫楼』)・福地慎太郎(DMF/FLIPLIP)・大多和愛子・井上貴代・福代千鶴(Media Factory)・石井宏明(劇団B→tops)・小池創(FLIPLIP)・酒井おかゆ(CHK放送劇団)・原田絵理(劇団Dark Moon)・遠山奈都子・小山洋平・摩耶聖子(Media Factory)・小田竜世・KAORU・植松寿絵・剛たつひと(Media Factory)

感想

ハートハートハートハートハート

FEVER DRAGONこの劇団の前身であるFEVER DRAGONという劇団の旗揚げ公演と、さらにその前身の劇団ちょっぷの解散公演に、何を隠そう僕は役者として出演している。
 その後いろいろな事情があって彼等とは袂を分かち、僕はFBIを設立した。その意味で、因縁浅からぬ劇団である。とはいえ、事情が事情だっただけに、その後僕が黒蛇こと小田の舞台を見たのは、辞めてから暫く経って、今はなき錦糸町の劇場で行われた公演以外にはなく、おそらく10年ぶりくらいになるだろうか。
 きっかけは、「Unforgettable」の時に声をかけていて、その後も何回か舞台を見に行っていたある女優さんが、何とその小田と付き合っていて(こんなことここで書いていいんだろうか)、今回出演するというので見に行ったのである。つまりは、「偶然の再会」というやつである。
 小田の作風がこの10数年でどう変化したのか、またはしていないのかを確かめたいという思いもあった。
 千秋楽ということもあって客席は満席。補助席を出す程の盛況ぶり。受付には吉幾三さんからの花が飾られていた。

 舞台には4本の柱。そして一枚の障子。不気味な模様が映し出されている。
 段差があるだけのシンプルな舞台だ。客入れにかかっていたのはヘビメタ。やっぱり「三つ子の魂百まで」と思った僕の予想は、大きく外された。

 お話は戦国時代末期だが、いつものように脚色が入っていて、実在の武将などが登場するが史実とは一致していない。
 本能寺で明智光秀に殺された信長の怨念は、炎となってあたりを焼き尽くした。こうした怨霊を魔界に封じ込めるのが退魔師・閻魔一族である地獄丸(井上)、朱絹(樹)、朧(奥村)の勤め。しかし、信長の怨念はあまりに強く、朱絹の顔に取り憑き、その顔を醜く溶かした。朱絹はやむなく、偽の美しい顔を手に入れ、刀鍛冶・村正のもとに身を寄せる。
 一方、あまりに強い怨念のため、その妻の体を使って怨霊として蘇った信長(KAORU)は、再び天下を取り、神にまでなろうとし、自分を滅ぼした者達への復讐を始める。
 秀吉が病床に伏せっているため、天下がまた乱れるのではないかと心配する石田三成(小林)と淀(原田)。案の定、信長の復活とともに京には魑魅魍魎があふれ出し、ついに秀吉、家康の首級が上げられてしまう。
 信長の怨霊をおびき出すために人身御供を申し出る光秀の娘・ガラシア(摩耶)だが、光秀は怨霊のことは閻魔一族に任せようという。
 一方、真田昌幸(剛)の息子・幸村(仲澤)は村正に、信長退治のための刀を作ってくれと頼む。そして、情勢視察と伊達政宗(金子)召喚の命を光成より受け、朱絹を伴って北国に旅立つ。北国で朱絹は雪の美しさに魅せられる。
 村正は、自らの命を削って刀を打つ。
 閻魔一族の朧は、人も怨霊も切ることができない自分に悩んでいた。そんな朧を地獄丸は「情は人を殺す。」と諭す。
 閻魔一族の仕える毒針十郎太(福地)と、十郎他の毒針で操り人形と化した徳川方のくのいち・あぐり(福代)におびき出されて信長の前に連れてこられた真田とガラシア達は、ガラシアに仕えるマリア(遠山)を殺されてしまう。
 そして信長は関ヶ原に天にも届かんばかりに巨大な安土城を再建し、その天守で武将達や閻魔一族を待ち構える。
 朧は、村正が命をかけて打った刀を受け取り、信長を切ることを誓う。
 そしてついに安土城の天守閣で、信長の怨霊と閻魔一族の死闘が始まる。
 朱絹の力の前についに信長は屈服。地獄丸が冥土の入り口の封印を解き、朱絹が信長の怨霊を引きずり込む。そして、正宗の刀を持った朧が、朱絹もろとも信長を貫く。

 いろいろな登場人物が錯綜しているが、要は信長の怨霊対閻魔一族という話である。そこに小田は、天下を狙う人間の愚かさや、平和を願う優しさ等、エピソードごとに様々なメッセージを込める。
 戦国ものということで、殺陣が多用される賑やかな芝居かと思っていたが、意外にも普通に役同士が台詞を交わすシーンが多かった。そのぶんじっくり見られたが、見方を変えるとちょっとまったりし過ぎの感もあった。かつてよりも一人一人の人物に丁寧にスポットを当てて書いているのが分かるが、その分スピード感とパワーが犠牲になった。大河ドラマを見ているような雰囲気であった。
 戦のシーンをパワフルに描いて、その後平穏な会話シーンになる等、もう少しメリハリがほしい。戦乱を生き生き描いてこそ、平穏な営みのシーンが生きる。
 面白かったのは、京の都に溢れる物の怪を代表する土蜘蛛(大多和)、牛蜘蛛(植松)の存在。地を這いながら攻撃されても死にもせず、人間と怨霊の争いを見続ける。謂わば狂言回し的な役割だが、昔の第三エロチカの芝居に出てきそうなフリークス的な存在感を出していた。しかし、時に彼等と一緒に登場し、時に人間達の間に登場する死神(酒井)はいまひとつ活かされていない。何かポイントになる台詞の一つもあればいいのだが、それ程の存在でもない。こうした登場人物の多い芝居によく見られるが、うまく物語に絡めていない役である。同じことは、狩野山楽(石井)についても言える。この二つの役はなくてもよい。もしあえて作るのなら、ピリッと聞かせる台詞を一つくらい用意してあげないと、役者もかわいそうだ。
 また、最後の戦いを、プロレス仕立てにしていたのも、僕としてはいただけないと思った。戦国ものであるから、もっと刀を使ったアクションがあってもよかったし、妖術のかけ合いといった見せ方もあったかと思う。人間同士の生々しいぶつかり合いに見えてしまい(実際そうなのだが)、両者ともこの世の者ではないという雰囲気がかき消されてしまったのが惜しい。
 何より、信長にカリスマ性が見えないのが痛い。かといって怖さもない。あの広さの舞台では、迫力を出そうとしても弱く見える。また、KAORUは出自がプロレスラーということもあって、台詞になると弱い。このあたりはプロレス好きの小田の趣味というかセンスだと思うが、もっと違うキャスティングがあってもよかったのではないか。

 役者は、さすがに劇団の主宰者格を揃えたというだけあって、安心して見ていられる安定感があった。それぞれに役柄に合った造形をしていたと思う。
 ひとつ小田の誤算があったとすれば、剛の起用であろう。他の役者と格が違いすぎて、他の役者の演技が幼く見えてしまうのである。もし剛にあの役をふるのであれば、光成や信長にも同格の役者をキャスティングする必要がある。
 見ていて、著しくバランスがとれていないと感じた。剛がいるシーンといないシーンでは、明らかに別の芝居になってしまっていた。
 小田本人は、昔は好んでヒール役を選び、生き生きと演じていたが、今回は打って変わって枯れた役だった。あんな役をやるようになったのか、と感無量だったが、もし僕が仮にこの芝居に出演することになっていたら、おそらく小田は僕にあの役をふっただろう。小田の脚本によく出てくる、「昔は凄かったが、今は力を温存したまま一線を退いた」という役柄である。
 樹は今回のポイントの役であるが、昔と変わらず芝居は固い。が、客の目を引きつける不思議な存在感はそのままで、今回の役にはまっていた。彼女には華がある。
 この舞台はある種の悲劇だが、彼女のラストの笑顔によって救われるのである。
 舞台美術と照明は、この不思議な戦国絵巻にマッチしていた。
 ラストに朱絹の頭上から雪が舞うシーンは、野田MAPの「贋作・罪と罰」のラストシーンを彷彿とさせる、もの悲しくも美しいものだった。

 総じて言えば、小田はこういう「妖怪物」を得意とする部分は昔と変わっていないが、人物描写やシーンの作り方、芝居のテンポは、昔の雰囲気を残しつつも、やはり昔とは違っていた。
 人間、変わっていく部分もあれば、変わらない部分もあるということである。
 役者には懐かしい顔ぶれもあった。新しい顔ぶれもあった。
 そして、これだけの顔ぶれを揃えられ、それをさばくことができる小田の芝居作りの力は、確実にアップしていた。
 ノスタルジーと、時の流れと、その両方を感じた舞台だった。

 なお、この日は千秋楽ということで、ちょっとした「ハプニング」が用意されていた。
 死に神役の酒井が、役者活動を休止して結婚することが発表されたのだ。ウエディングマーチが流れる中、小田が花束を渡し、酒井にプロポーズを促す。酒井は客席前方に座っていたフィアンセに花束を渡し、「これからもよろしくお願いします。」と照れながら言い、満場の拍手を浴びた。
 こういう気配りとアットホームな雰囲気から、小田の役者や役そのものを見つめる優しい視線を感じる。それが人気の秘密なのだろう。
 今後のさらなる活躍を期待したい。