2009年7月10日 シアターグリーンBASE THEATER
この劇団の存在を、僕は知らなかった。来秋の公演のオーディションを受けてくれた望月が出演するというので見に行ったのだ。
もう7回目の公演なだけに、初日の平日マチネ公演にもかかわらず、客席はほぼ満席。
しかし、初日ということもあって、舞台の完成度は今ひとつというのが正直な感想だ。
この物語は一見無関係ないくつかのエピソードが同時に展開する。
主な流れとなるのは、息抜きの合間に漫画を書きながら引きこもり生活を続ける漫画家志望のイキトシ(嶋村)のエピソード。恋に関してはトラウマがあり、それが引きこもりの原因になっている彼はある日、自分の家の前で「恋人」でホストのホウライ(望月)と待ち合わせしている女子高生・アズキ(石高)を窓から偶然見かけ、恋に落ちる。
彼女の待ち人が現れず、悲しんでいる様を見たイキトシは、どうしても彼女に思いを伝えたくて、悩んだ末に紙飛行機に次の言葉を書いて窓から飛ばす。
「君を助けてもいいですか?」
しかし、その紙飛行機は彼女に届かず、偶然にもそこを通りかかったオカマのミカ(佐藤)に拾われてしまう。勝手にイキトシの家に上がり込み、「『君を助けてもいいですか?』を助けてもいいですか?」と彼の恋の手助けをすることになる。
そのミカの友達であるスナックのママ・マイ(飯田)は会社員でアズキの父親であるシゲオ(郡司)と不倫中。
シゲオはヒーローものの的の戦闘員の派遣会社で働いている。しかし、戦闘員達はみなやる気がなく、ワシックス(横手)は『本当の自分を見つけたい』と辞めていってしまう。それにつられてハリマ(田坂)も辞め、ホストになってホウライの子分になった。
もう1人の戦闘員・紫(近藤)も辞め、家に引きこもって隣の部屋の不倫を隠し撮りしている。その不倫の2人が、シゲオとマイだった。たまたまハリマの部屋に呼ばれたデリヘル嬢のチハル(清水)は、そのテープを使って2人を強請ろうと計画する。
そのシゲオの一家は、妻のニシエ(江原)とアズキ、そしてアズキの妹にツクシ(我妻)の4人家族。いつものような朝を迎えたその家に、マイが押しかけてくる。
2人に挟まれた修羅場と仕事上のトラブルで、とうとうシゲオは引きこもりになる。
一方、本性ではアズキを食い物にしようとしているホウライを信じ続けるアズキを何としても救いたいイキトシは、200万円の賞金をかけてネットで応援を募る。これに反応したワシックスは、すぐに同じ引きこもりの紫や蛸の「タクロウ」を愛するメグメグ(蔭山)にネットで連絡を取り、アズキの救出作戦を開始する。
ミカをも巻き込んだこの作戦で、最後に彼等がとった作戦とは…
時間軸をずらしたりして、一見複雑に見えるが、至極単純なストーリーである。
二つの柱はイキトシの恋とシゲオの不倫なのだが、後者は描かれ方がちょっと弱い。
結局はいろいろな人間関係が一つに繋がっているという構造ではあるが、何処かの国から人を探しにやってきたカンニャボ(扇谷)の話がうまく絡んでいるとは言えず、母親がニシエだったという話はこじつけっぽく感じてしまう。こじつけといえば、マイの店の金庫から200万円を持ち出した代わりに蛸(タクロウ)を入れておいたというミカの行動も謎だし(実は蛸が自分から引きこもったという設定だったらしい)、最後の方でホウライも引きこもってしまうのが、いかにも唐突だ。
そもそも「引きこもり」というのはコミュニケーション不全に陥った人間がなるものだが、それを忘れさせるくらいのエネルギーを出すきっかけとなるにしては、アズキがあまり魅力的に描かれていないのも苦しい。
また、そんな引きこもりの人間が自分1人で医者に行くというのも考えられない等、どうにも脚本の欠陥が目立つ。
最後に、賞を受賞したというイキトシの漫画が映像で紹介されるが、これも余計である。
余計といえば、イキトシの心(雷時雨)とアズキの心(いとう)の存在は全く必要ない。独り言として出てくる言葉と裏腹の関係の心理を伝えたかったのだろうが、それは観客が想像することで、説明過剰だ。
結果として、題材の選定と料理の仕方に失敗したのではないかと思われる。
役者も若いためか、演技に説得力のある人間が少ない。
嶋村は好演だと思うが、他は可もなく不可もなし。あとは江原の主婦っぽさが割とリアルだったのと、扇谷の外人ぶりが目立った程度。飯田からはお水の臭いが全くしなかったし、望月、田坂のホストコンビもチャラチャラぶりが足りないと感じた。
雷は本役のイキトシの心よりも、医者の役のときの方がそれらしかった。
重いテーマを敢えてゆるく軽く、というのがユニットの色なのかも知れないが、僕には中途半端に感じた。ゆるくするにはゆるさが足りないし、コメディにしてはあまり笑えない。
それなりに固定ファンもいるようだが、僕には正直ぴんと来ない世界だった。
蛇足だが、僕が見に行った回には「アフタートーク」があり、作者と役者が出てきたのだが、作者が芝居のテーマを語ってしまった。それはなしだろう。せいぜい「楽屋裏話」的な内容にとどめるべきである。
「答えは一つじゃない。それがウラダイコクの姿勢」とサイトにも書いてある。
作者が芝居の「答え」を言ってしまうのはこの姿勢に反するのではないか。
いろいろな意味で、まだまだ克服すべき課題が多い集団だと感じた。