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ジャンガラドドイツ

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ジャンガラドドイツ(サッカリンサーカス)

~観劇日・劇場

2003年6月12日 ザムザ阿佐ヶ谷

~作・演出・出演

  • 作・演出/伊地知ナナコ
  • 出演/今里真・宇田川千珠子・堀口茉純・森野温子・内藤綾子・小谷心平・武谷公雄(バングラッシー)・酒井和哉・大久保宏章(自己批判ショー)・飯高八潮丸

感想

ハートハートハートハートハート

ジャンガラドドイツサッカリンサーカスはFBI第1回公演「Sweet Dreams」で大変お世話になった伊地知ナナコ女史率いる劇団だが、ここ最近見に行く機会を逸していたら、いつの間にか14回公演になっていた。また、本公演は昨年から続いている「ジャパンツアー」と称するシリーズの最後の作品だそうである。成る程、どことなく地方の歌舞伎座に客席の感じが似ているザムザ阿佐ヶ谷にはぴったりかも知れない。と思っていたら、今回は大正時代が舞台だった。
 奇人・変人や珍事件等、大衆にうける情報を取り上げて人気の狂気新聞社。読者からの投書を元に記事を作っているが、その投書の殆どが実は編集部員の創作である。社主の瀧野(小谷)は最も人気の高かった記事を書いた記者に金一封を支給することで、記者達の士気を高めている。駆け出しの相馬(宇田川)は、金一封の常連である先輩の杉本(武谷)から教えられて、妄想の中から「人さらいのサーカス団」の話を作り上げ、投書とそれに基づいた記事を書き上げる。
 ところが記事は大きな反響を呼び、このサーカスの目撃談が次々と寄せられる。驚く記者達の前にアイコと名乗る女学生(森野)が現れ、サーカスの目撃談を詳しく語りたいと申し出る。しかし、指定した日時に彼女は現れず、新聞社に彼女の誘拐を仄めかすサーカス団の団長・ジャンガラドドイツからの電話が入るのだった。
 このサーカス団は、冷酷非道な団長(今里)が率いる道化によるショーだけを見せ物とする集団。さらわれてきたアイコは、サーカス団の花形で団長の寵愛を受け、綱渡りのショーをするクラウンのあいこ(堀口)に代わり、コロンビーナのアイコとして花形に抜擢される。アイコは歴代の花形の「飼育係」であるピエロの夢太(酒井)と恋仲になり、自暴自棄のあいこは下っ端のスカパン(大久保)を抱く。
 団長の目標は、サーカスの完成のために道化の中の道化・アルレッキーノを演じる者を見つけること。そのアルレッキーノの仮面が、瀧野宛に狂気新聞社に届けられる。誘われるように姿を消す瀧野。相馬は瀧野を追って、神出鬼没のサーカス団が最後に出没すると見られる場所・浅草の十二階に向かう。そこで相馬は、瀧野と団長の過去にまつわる話を知り、団長の怨念が乗り移った道化のショーを目の当たりにするが、その時東京を関東大震災が襲い、サーカス団と瀧野は業火の中に消えてゆく。
 「ジャパンツアー」と言いながらも、アルレッキーノやサーカスという題材を取り上げる‘癖球’勝負はさすがサッカリン流という感じである。また、イエローペーパーの編集部が一方の舞台なので、「本当に大衆の求めている情報とは何か」というメディア論も語られるあたりが面白い。また、団長の復讐心を燃やす対象である、前日まで賞賛していたものを根も葉もない噂話によって一日にして排除、虐待の対象に変えてしまう「愚民ども」=大衆の性格への着眼も利いている。舞台の仕掛けとしては、相馬の妄想シーンになると天井から降ってくるシャボン玉が面白かった。多くの場合は舞台の上に降らせるのだが、サッカリンは客席の上から降らせたのだ。これは、舞台上が滑りやすくなることを防ぐという効果もあるが、妄想する主体が相馬ではなく客(=大衆?)に他ならないということをも示している。一方、ここ数年サッカリンが取り入れている「レビュー」の手法は、こと狂気新聞のシーンに限って言えばあまり効果的とはいえなかった。むしろサーカスのシーンに限定して入れた方が、ショーとしてのサーカスという面が際立ったと思う。狂気新聞のシーンは、普通にやっても十分見られるアンサンブルの良さがあったし、人物も魅力的に描かれていたので、歌と踊りが余計なものに感じられてしまったのだ。また、お話としてやや理に落ちてしまった面もあったところも気になった。せっかくサーカスと道化という道具立てが揃っているのだから、もっと混沌として、「周縁が中心を飲み込む」ような描き方があってもよかったと思う。まあ、このあたりの匙加減はなかなか難しいのも事実だ。
 看板役者・今里はさすがのひとこと。トリックスターの身軽な感じというよりも、真正面から秩序に切り込んで乱していくというパワーを感じる。彼を中心に世界を作ってしまう引きの強さには脱帽するしかない。サッカリンは彼というピカレスクを見せる劇団だと言っても過言ではないだろう。もうひとつの看板・宇田川は年齢不詳の不思議な佇まいを持ち、どのシーンでも基本的にはマイペースを崩さない(ように見せる)ところがある意味凄い。どうにも座りの悪い演技ながら、そこが魅力になっている類い希な女優さんだと思う。芝居の締めの言葉、「私にはまだまだ書きたいことがたくさんある」というのも、彼女が言うからこそ説得力を持っていた気がした。その他の役者はみな安定した演技だった。ただ、三味線を弾きながら道化頭を演じた民謡界からの客演・飯高師匠の使い方が僕にはよく分からなかった。どうせなら台詞など振らずに、今里との絡みを全て歌にしてしまったりしてもよかったかなと思う。役者の中で僕の個人的な注目株は、クラウンのあいこを演じた堀口。小柄ながら存在感と色気があり、結構惹き付けられた。これからが楽しみな女優さんである。
 僕が見たのは2日目ということで若干芝居にもたつきが見られたが、これは最終日までには解消されたと思われる。排除されるものや混沌をもたらすものに常に焦点を当てていながら、伊地知独特のややレトロなセンスでエンターテインメントに仕立てられているサッカリンワールドは、スチャラカコメディを標榜しながらもなかなかどうして真面目で硬派である。このあたりの微妙なバランスの取り方にはまっている客も多いだろう。ここのところご無沙汰していたが、次回も是非見に行きたいと思っている。