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海鬼灯

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海鬼灯(HOTSKY)

~観劇日・劇場

2004年7月23日 アートバア無力無善寺

~作・演出・出演

  • 作・演出: 釘本光
  • 出演:釘本光・矢口恵子・尾方香吏(劇団C4)・佐藤嘉太・佐藤右京・増永匡史・大福悟(劇団C4)

感想

ハートハートハートハートハート

「劇場ではない場所での上演」にこだわるというHOTSKY。その公演が、高円寺のバーであった。中央線の高架脇のちょっと怪しげな(?)アーケード街を進むと、そこにそのバーはあった。狭い階段を上って店にはいると、カウンター前の10畳くらいの場所がフリースペースになっており、そこに古ぼけたソファや小さな木の椅子が並べられて客席になっている。店の天井からは、回転するガラガラや女物の下着など、様々なものがつり下げられていた。カウンターの周辺にも様々なものが雑然と、しかしある種の秩序をもって並べられていて、これは「アメリ」のシーンの背景に夥しく並べられた小物のように機能していた。
 そのカウンターに、客入れ時からずっと一人の女が突っ伏して寝ている。この「店」の女主人・凪(釘本)である。凪は、彼女を「凪さん」と呼ぶ娘の真波(矢口)と2人でこの店を切り盛りしている。夫の拓海(大福)は3年前に不意に家を出たきり音信不通だが、表向きは平静を装っていても、常にその帰りを待っていた。そんな凪の店に、開店前にも関わらず、突然2人の若い男女・澪(尾形)と慎(佐藤嘉太)が進入し、傍若無人に振る舞い出す。あっけにとられる凪と真波。2人は凪と拓海の出身地である北九州から来たといい、あまつさえ地元のバイト先で拓海と知り合い、世話になったというのだ。彼等によれば、拓海はそこでスキューバダイビングの学校に通っていたのだ。そこへ、拓海が突然戻ってくる。実は、澪と慎は地元の劇団員。拓海は2人に、自分の書いた作品への出演依頼をしていた。その作品は、かつて拓海の芝居仲間・信洋が書きかけたもので、信洋自身は脚本の完成前に海に身を投げて自殺していたのだ。拓海は、凪にこの作品への出演を強く迫る。この作品には、凪、拓海、信洋の過去の複雑な思いと、拓海の凪に対する屈折した感情が隠されていたのだ。
 この作品では、「現在」と「過去」の思いが交錯する。凪と拓海の「過去」は、2人の地元である北九州の地の記憶だ。その記憶にある種の「体温」を与えるものとして、「海鬼灯」というアイテムがうまく使われている。劇中で凪が何度も歌う「海鬼灯」が出てくる歌も効果的だ。凪が待っているのは、家に帰らない拓海だけではなく、もう永遠に帰ってこない信洋でもあるという構図が浮かび上がる。それは、何度か台詞が引用される、拓海が上演しようとする脚本の内容=昔、繁栄を極めながらも海の底に沈んでいった王国を探そうとする男達の物語にも表れている。この劇中劇の脚本は、大福氏の作品からの引用のようだが、ちゃんとこの劇の世界と呼応し合っていたと思う。
 また、今回は実際に北九州出身の役者が出演しているため、劇中でも北九州弁が使われるが、これがかなり効果を上げていたと思う。ただ、非常に惜しいのは、北九州弁を喋るのが澪のみだったことだ。クライマックスで凪と拓海は激しく思いをぶつけ合うが、ここで2人が「お国言葉」を使っていれば、この2人の思いが、まさに2人があの言葉を使っていた時代の、その場所での「記憶」や「思い」を共有しているのだということがはっきり分かるのだ。言い換えれば、「現在」の生活の言葉である標準語では語り得ない、2人の「過去」の「固有性」=その時、その場所で、凪と拓海(と信洋)の間にだけ存在したものだということが際立つことになったのだ。たとえ北九州弁を理解できない僕達にも、その重さと切実さは、標準語での会話以上に伝わったのではないかと思われる。
 凪の釘本は、仇っぽさと艶っぽさを漂わせて、この芝居の空気を作る。前回見た「Pillow Talk」でも感じたが、何かを失った寂しさと切なさを表すときの、ちょっとした表情の揺らぎがいい。対して、矢口はサバサバとした感じの造形で、澪と慎と丁々発止のやりとりが聞いていて心地よい。母親への愛情も伝わってきた。大福は流石の風格とパワーで熱演。全体としては線の細めな釘本作品に骨太な味を持ち込んだ。帰宅してからの前半部分はもっと傍若無人に作ってもよかったかも知れない。緒方と佐藤嘉太は前半が主な見せ場になるが、コンビネーションがよかった。特に尾形は九州弁でまくし立てる時などにいきの良さを存分に発揮していた。芝居の冒頭に登場して劇中劇の台詞を言う「男」は、実は信洋(の「思い」)であるが、この役は増永と佐藤右京のダブルキャストである。僕が見た日は増永だったが、かなり熱く、骨太な演技を見せてくれていた。台詞にもう少し「悲しみ」のニュアンスが入っていると、後につながる何かを匂わせることができたかも知れない。
 様々な装飾品に囲まれた狭いバーという空間は、まるで信洋が沈んだ海底そのもののようにも感じられた。役者が近いので、店の前後に役者が分かれたり、床に座っての演技は少し見づらかったりする面があるが、臨場感があり、体温がよく伝わってくる。空間と作品がよくマッチしていた。
 どちらかというと暗めの基調の作品の中で、登場人物中最も「前向き」な真波の存在は印象に残る。ラストの真波の台詞が「凪さん、あのね」で途切れるが、彼女が言いたかったことは何なのか、観客の想像をかき立てる終わり方だ。僕には、それに続く言葉は、娘が母親の「意思」を受け継ぐ宣言であると思えてならない。
 釘本の脚本はきわめて文学的であるが、それを効果的に表現するための「空間」と役者を得ると、作品の世界がさらに広がり、深まる。それを強く感じた舞台だった。60分強という時間も、長すぎず短すぎず、ちょうどいい具合に収まっていた。
 次回はどんな場所で、どんな世界を展開してくれるのか、非常に楽しみである。