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マクベスがいっぱい!

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キャプテンチンパンジー「マクベスがいっぱい!」

~観劇日・劇場

2008年11月28日 中野ザ・ポケット

~作・演出・出演

  • 作・演出/坪田直也
  • 出演/木下伸也・長浜良子・木村賢・池上映子・白井美紀・SUNDAVE・廣川政典・宮下真・鈴木昌美・竹内俊樹・胡七瀬・チャーリー畠山・垣添敦士(スターライズ)・川瀬ゆい子・村井みゆき(ジャングルベル・シアター)・サモ☆ハン・及川慎一郎・大久保雄介・露木友子・中西知佳(劇団河原乞食)

感想

ハートハートハートハートハート

マクベスがいっぱい!キャプチンことキャプテンチンパンジーの芝居を見るのは久し振りだ。
 活動は長く、毎回ポケットやグリーン等の中規模の小屋を利用する。ロビーにはTシャツ、缶バッチ、DVD、クリアファイル等のグッズが並ぶ。僕が見たのは金曜のマチネで特別料金の300円引きの回だった。平日の昼間にもかかわらず、客席はほぼ満席。人気の程がうかがわれる。
 しかし、観客の数がある程度以上になると、客と劇団との「共犯関係」から冒険が出来なくなってくるという落とし穴がある。

 今回の「マクベスがいっぱい!」は、いわばバックステージもの。
 劇団宇宙(そら)豆の元看板役者・四郎(木下)は、今では中堅の役者・水野(宮下)にその地位を奪われ、まわってくるのは老け役ばかり。他の役者達の殆ども水野に媚を売り、座長の定子(SUNDAVE)までもが水野をひいきしている。
 そんな時、団員のアキ(長浜)の妊娠が発覚する。相手は四郎。アキの母・春香(村井)は、四郎に責任を取って結婚し、経営しているクリーニングやチェーンの店長になるように言う。芝居に未練がある四郎は大いに悩む。
 一方、大演劇協会会長の渡辺(胡)は困り果てていた。超世界演劇協会会長のホットフィールド(川瀬)との約束で、「演劇ワールドカップ」に参加する劇団を探していたのだが、有名どころの劇団にスケジュールを理由に全て断られてしまったのだ。しかし、各劇団が断った本当の理由は、ホットフィールドがその辛辣な劇評でいくつもの劇団を潰してきたことにあったのだ。
 渡辺は、日本にある全ての小劇団にまで対象を広げて募集をすることを決める。演目は「マクベス」の任意のワンシーン。時間は5分間。
 当然、この話は宇宙豆にも伝わる。四郎は役者生命をかけてマクベス役に挑もうとするが、水野も当然その役を狙っていた。アキの提案でオーディションで役を選ぶことになったが、どうしても四郎にマクベスをやってもらいたいアキは、四郎をそそのかして水野に下剤を仕込もうとするが失敗。
 挙げ句の果てに、水野はさらに大きな劇団から声がかかっていると言って、殆どの劇団員を引き連れて退団してしまう。
 残されたのは、座長と四郎、アキ、二宮(サモ☆ハン)、そして制作の岡(川瀬・二役)。座長は、元団員の小関(垣添)や江川(チャーリー畠山)の励ましもあって、ワールドカップ予選への出場を決意する。
 しかし、ワールドカップ予選に出場するとなれば、四郎は当然役者として活動しなければならなくなる。妊娠しているアキとは別れなければならない。
 この様子を見守っている二人がいた。地獄の閻魔大王に使える奉公(竹内)と、未だ生まれぬ魂のレイ(鈴木)。レイは自分が生まれるべきかどうか、閻魔大王の計らいで現世に確認しに来たのだった。
 果たして、劇団宇宙豆と四郎は、無事に舞台に経つことが出来るのか!?

 芝居をやっている人間にとっては、「生活か、芝居か」というのは切実な問題である。その迷いを「王を殺すべきか」と逡巡するマクベスの迷いに重ねた劇構造である。
 今は会社員をやっている江川の「自分もマクベスと同じように、養成の言葉に騙されていた」という告白は、夢を追う多くの演劇人の胸に突き刺さるだろう。
 最後に4人で挑んだマクベスの舞台で、ラスト近くのマクベスの台詞は、絶望的な戦いでも最後まであきらめないという四郎と劇団員達の思いを代弁していて、ここは木下の熱演もあって感動的である。
 おのおののエピソードには破綻がなく、最後まで飽きずに見られる舞台だった。
 ただ、今回アキのエピソードのためか、登場人物のそれぞれに「守護霊」がついている設定になっていて、これがファンタジー色を出しているのだが、あまりうまく物語に絡んでいない。まさに、守護霊の一人の言葉通り「舞台転換のためにいる」としか思えないのだ。むしろいない方がすっきりするし、逆に現実の問題としてテーマの切実さが増す。
 守護霊や地獄の話のくだりは、かえってテーマの濃密さ・切実さを薄める結果になっている。
 また、最初の水野との役の取り合いのくだりで、下剤をしこませようとするアキをマクベス夫人に重ねたのだろうが、その後のシーンではアキは善人になってしまうのも、いまいち面白味に欠ける。例えば、自分の子供を堕胎させることで、四郎の決断を促すくらいの凄みのある展開でもよかった(唐十郎あたりならそうするだろう)。芝居とは、役者とは、そのくらいの覚悟がなければ舞台に立てない。そういう営みだと突きつける方が、原作の「マクベス」のテーマに近いと思うのだが、それを今のキャプチンに求めるのは酷だろうか。
 因みに、このアキの役は、もし退団していなかったら間違いなく元キャプチン団員の岸本尚子のパートだったに違いない。長浜には少々荷が重い役だったと僕は思う。
 このあたりに、最初に書いた観客と劇団の「共犯関係」がある。客が求めるキャプチン像をなぞっているようにしか見えないのだ。

 また、役者はみんなスキルは高く、安心して見ていられる人が殆どだが、正直言って光る人がいない。みんな小粒で、坪田氏の作った世界をはみ出さないようにお行儀よく演じている。
 何というか、生々しさや躍動感がないのだ。
 アンサンブルを壊せと言うつもりはないが、もっとドキドキさせたり、ゾクッとさせてくれる演技をしてほしい。

 もっともこれは、その元となる「坪田ワールド」、つまり坪田本人の資質の問題でもある。
 楽しくて、ときに切なくて、でも最後はハッピーエンドで感動的に終わる。そんな自己充足的な物語になっていて、驚きや新たな発見、またこちらに突きつけられてくるものがない。「安心して見ていられる」というのは、「良くも悪くも」ということである。
 それが好きなお客さんはまた見に来るだろうし、そういう人が多いからこそ中規模の劇場でコンスタントに芝居が打てるのだろうし、これまでいろんな賞を取ってきたのだろうが、芝居の中野言葉を借りれば、その程度の劇団は「ごまんといる。」
 「等身大のマクベスを主人公にしたい」と作者はパンフで書いていたが、確かにそれには成功したかも知れない。が、その題材が果たして「マクベス」でよかったのかという疑問が残る。また、皮肉なことだが、決して背伸びしない役者達の演技も存在感も、「等身大」というキーワードでなら合点がいく。
 もしキャプチンがもっともっと大きな劇場に進出して行きたいと思うなら、今の観客との「共犯関係」を壊してでも、殻を破って新しい作劇術に挑戦すべきだと思う。もっとも、それをキャプチンが望むならの話だが。

 芝居の完成度は申し分ない。脚本も面白い。役者のスキルも許容レベルだ。
 しかし、「マクベス」が僕にとってシェークスピア作品の中でダントツに好きだということもあるが、僕にとっては、「そこそこ楽しく、感動もさせてくれたけど、何か物足りない」2時間だった。