Favorite Banana Indians

Mail

二ッ兎

ホーム>レビュー>二ッ兎

二ッ兎(α.C.m.e.)

~観劇日・劇場

2003年3月23日 中野ウエストエンド

~作・演出・出演

  • 作・演出・振付/長谷川寧
  • 出演/山下和美・船津奈緒子・藤田卓也・井口貴徳・林いくみ・墨井諒子・田谷邦明・山本昌江(ミクロ弾)・宮久保祐紀(ハラホロシャングリラ)・畠山美樹(ももいろぞうさん)・都上々(ミケランジロ)・長谷川寧

感想

ハートハートハートハートハート

二ッ兎(α.C.m.e.)これは自慢話の類になるが、僕はアクメを旗揚げ公演から知っている。そして、旗揚げ公演を見た時に、彼等の持つ才能を直感した。「Stairway to Heaven」で一緒に芝居を作って、僕はその直感の正しさを確信した。その後の彼等を見ると、やはりその直感は正しかったと言える。いや、正直それ以上だったと言っていいかも知れない。
 今回で7回目となるアクメ公演は、いつもながらに仕掛けが一杯である。ウエストエンドのスペースの中心部分(多くの劇団は客席として使用する)を舞台にし、大きな日章旗の絵柄を入れた。そして、舞台を囲むように3カ所に櫓を組み、2つは音響・照明の操作台を兼ねる。そして、残る一つが芝居の一つの中心となる「東京タワー」。しかし、そこには切れかけた蛍光灯が明滅する壊れた看板などの廃材が積まれている。今回の舞台は近未来だが、イメージはフィリップ・K・ディックの「ブレードランナー」のような、何処か退廃的で過去に回帰したような「未来」だ。
 楽日のためか、座った位置のためか、音響が大きくなると枯れてしまった役者の声が聞き取りづらい。そのため、正直言ってストーリーを追えない所が多々あった。そういうわけで、ここに書くストーリーはあくまでも僕自身の解釈を入れた「概略」であることをお断りしておく。
 二兎天皇(田谷)を戴く近未来の日本では、超国家主義によって人々の自由は阻害されていた。その首都・東京では知事・赤尾(長谷川)による北の国からの密航者狩りが行われていた。その東京のに桂(井口)という一人の男がやってくる。彼は最初に入った喫茶店のウエイトレス・ナオミに一目惚れするが、ナオミはその時店に入ってきた元パンクバンドのサーヤ(藤田)達に、再結成するバンドのボーカルをやらないかと誘われ、突然錯乱する。その桂が転入した学校では択捉教官(都)による厳しい授業が待っていた。クラスメートのキリヒト(船津)は、本の朗読で客を射精させる怪しげな風俗の覗き見に桂を誘う。そこには択捉教官も出入りしていた。キリヒトに唆されて店に入った桂は、そこでナオミと出会った。罪悪感を抱える桂をキリヒトは抱く。この風俗通いがバレた択捉は、知事によってパイプカットの刑に処せられる。
 そして、東京では知事による「三都目への遷都」(=全てを更地にして再開発する)計画に逆らう石原軍団が東京タワーに立て籠もって抵抗を始めた。ナオミの加入したパンクバンド・アクメのメンバー達はそれに呼応して、軍隊に取り囲まれながらコンサートを決行する。争乱状態の首都を脱出した桂は、新潟まで逃げ延び、そこにある密航者達が潜んでいるという井戸に辿り着く。その暗闇の中で、桂は自分と同じ寒い国から逃げてきた仲間達と出会うのだった。そして首都では、ナオミ達アクメのレジスタンスが悲劇的な結末を迎える。
 四方を客席に囲まれたスペースで、役者達は実によく動く。全編を通して長谷川演出特有の神経症的な(?)動きが多用される。パンクのオリジナル曲のダンスも長谷川の振り付けだ。また、入り口から客席へと降りる階段や櫓の上も演技スペースにするなど、空間をフルに活用した舞台だ。退廃的な雰囲気を漂わせる舞台に、鮮やかな色彩を多用し、ビニールの質感を生かした山下の衣装が映える。風俗店での射精を、舞台に横たわった2人の役者の股間に挟んだペニスの形状に似せた風船の膨張と破裂で見せたり、ラスト近くで数回使われる古いブラウン管テレビの流れた映像等、相変わらずイメージで表現する手法に卓抜したものを感じさせる。この劇団が美的なセンスに長けていることを改めて見せてくれた。
 そして今回は、ナオミの顔にかかる桂の精液が天井から降ってきたり、喫茶店で錯乱したナオミが、袋一杯のコーヒー豆を客席に向かって撒き散らすといった、昔のアングラにも通じる客を挑発するような手法も使った。これは賛否両論あるだろうが、アクメの「曲者」ぶりを客に再認識させるには十分なインパクトだったと思う。
 役者のレベルの高さは今更触れるまでもない。山下の舞台を背負った時の凛とした存在感は、どんなに弾けた演技でも崩れることはないし、今回初めて男役の船津は倒錯した存在ながら安定した演技で無理なく見られる。それに対して、初めて女役の藤田は逆に「際物」ぶりを強調してインパクトを与える。ともに持ち味を遺憾なく発揮していた。長谷川は、殆どのシーンが他の役者を見下ろす位置での演技だ。彼が役者の個人的に恥ずかしいエピソード(全て実話が使われたらしい)を紹介しながらその人をいじっていくシーンが面白かった。勿論、普通の芝居でも独特の存在感は健在。女装こそしなかったものの、立ち位置と相まって、ますます役者として「卑怯」になっていく長谷川である。客演陣ではミケランガジロの都が、声が枯れて聞き取りづらかったことを除けば出色のでき。他も井口をはじめ全員が、アクメの(いろいろな意味で)過酷な舞台で実に安定したクオリティを保っていた。入場料がもう1000円高い舞台に立っていてもおかしくない役者達だと思う。
 「ベリーベストオブアクメ」と銘打つにはストーリー的にやや描き足りない面もあったが、「見せ物」としては立派に成立していた。ビジュアル的な表現にこだわり、エロスの臭いのする生命力溢れる世界をエネルギッシュな役者の肉体で見せる今のアクメの姿は、初期の第三エロチカのイメージと重なる。大ブレイクするかは別として、彼等は確実に「表現」で食っていける人達だ。初期メンバーが抜けたりして大変な面もあるだろうが、アクメは確実にあるポジションを確保しつつある。たとえ集団の形態が変わっても、おそらくそれは揺らがないだろう。ファッションショーや客演等、メンバーは劇団外にも活動の場を広げているが、アクメとしての次回作も待ち遠しい。