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中島みゆき 夜会vol.15 ~夜物語~元祖・今晩屋

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中島みゆき 夜会vol.15 ~夜物語~元祖・今晩屋

~観劇日・劇場

2008年12月10日 赤坂ACTシアター

~作・演出・出演

  • 構成演出・脚本/作詞作曲;中島みゆき
  • 音楽監督・編曲/瀬尾一三
  • 出演/中島みゆき・香坂千晶・コビヤマ洋一・土居美佐子
  • MUSICIANS;
    Conductor,Keyboards 小林信吾
    Keyboards 友成好宏
    Keyboards,Saxopone 小林哲
    Guitars 古川望
    Bass 富倉安生
    Drums 江口信夫
    Vocal 杉本和世
    Vocal 宮下文一
    Violin 牛山玲名
    Cello 友納真緒

感想

ハートハートハートハートハート

夜会vol.15 ?夜物語?元祖・今晩屋中島みゆきの「夜会」と言えば、僕にとっては2年前の青山劇場で見た「24時着 00時発」を見て以来、2回連続となる。しかしその前は、ずっとチケットが取れず、悔しい思いをしてきたのだ。多くの回はDVDになっているが、谷山浩子と共演した2002年の「ウインターガーデン」など、完全には映像化されていないものもある。
 コンサートツアーもそうなのだが、みゆきファンにとって「夜会」のチケットはプレミアムチケットなのだ。

 知らない方のために少し説明しておこう。
 「夜会」とは、普通のコンサートと違い、中島みゆきがある「役」を演じながら歌によって場面を作り、ストーリーを展開していくステージだ。
 僕が見るところでは、1991年のvol.3「KAN-TAN(邯鄲)」でミュージシャンがオーケストラピットに入って舞台から消え、ストーリーがはっきりしてきたあたりで一つの形として完成し、その後夜会オリジナルの書き下ろし曲だけで構成されるようになって完全に「コンサート」から独立した形態となった。そこにいろいろとアレンジを施しながら今日まで続いてきている。
 コンサートでもない、演劇でもない、まさに「夜会」という公演形態を作り出し、音楽・演劇業界に一石を投じ、それを定着させた中島の功績は大きいと思う。

 そんな夜会も今回でvol.15。クリスマス気分がそこら中に溢れる赤坂サカスの中にある赤坂ACTシアターのこけら落とし公演に選ばれた「舞台」を見てきた。
 パンフレットの前書きを見て、「しまった」と思った。というのも、パンフの中島の言葉によれば、今回の物語は「『安寿と厨子王』のその後の物語」なのだという。有名な話なのは知っているが、実は僕は「安寿と厨子王」の話を全く知らないのだ。ということは、後日談をやられても、何のことやらさっぱり分からないということである。
 しかし、来てしまったからには仕方がない。歌だけでも楽しんで帰ろうと思い、開演を待った。

 ゴーンという鐘の音で幕が開く。
 舞台の両端には切り立った崖。そこから滝のように水が流れ出している(勿論、本物の水を使っている)。
 そして舞台の真ん中には寺のお堂がある。パンフによれば、そこは「縁切り寺」である。明るい音楽とともに登場した中島みゆきは暦売りの役。なので、最初に歌った歌は「暦売りの歌」である。縁切り寺を訪ねてくる参拝者に暦を売るのである。
 さて、それから物語が始まるわけだが、実はこの文章を書くにあたって、僕は中島みゆきがパンフの「あとがき」で参考文献として挙げていた森鴎外の「山椒大夫」を読んでみた。そして、もう一度ステージを思い返してみたのだが、これまでの「夜会」と違い、素直にストーリーが追えない。例えばこの第1幕には、中島演じる暦売りの他に、縁切り寺の庵主(あんじゅ)(香坂)、元・画家のホームレス(コビヤマ)、脱走した禿(土居)という役が出てくるのだが、それぞれが謎めいた遣り取りをするばかりで、それぞれの関係性や、原作の役との関係もはっきりとは描かれていない。唯一の手がかりは歌詞だ。
 おそらく禿は安寿を、ホームレス(「名前も忘れてしまった。」という台詞と何かから逃げているという設定から)は厨子王を表しているのだろう。
 それぞれが転生をした先で出会い、あの夜(森鴎外の作品でいえば、山岡太夫が安寿と厨子王達を騙した夜)をちゃらにして、もう一度やり直そうという「願い」を抱いているということなのではないだろうか。
 暦売りの暦には日付も月も書かれていないという設定や、「約束は、その日の気持ち」という繰り返される台詞のフレーズ、そしてまた、2幕に入っても繰り返し歌われる「百九番目の除夜の鐘」という歌の
  やさしき者ほど傷つく浮世
  涙の輪廻が来生を迷う
  垣衣から萱草
  裏切り前の1日へ
  誓いを戻せ除夜の鐘
という歌が、それを暗示しているように思われる。
 逃げ出した禿が松明を持って来て寺に火を放ち、僧の姿になったホームレスが燃えさかるお堂の中に入る。
 扉が閉まると火の勢いは増し、縁切り寺は崩れて瓦解となる。
 その時歌われるのが、「都の灯り」という歌である。
 逃げていく厨子王の胸の内というとだろうか。
 ここで休憩となる。

 2幕に入ると、さらに話は分からなくなる。
 第1場は水族館なのだが、暦売りだった中島は、暦ではなく年末のツアーを売っている旅行代理店の営業になっている。
 と、水槽の中に現れるのは飼育員(香坂)。中島が、何度か「どなたか水の中ですか?」と尋ねるシーンがあることから、この飼育員は入水自殺した姥竹の転生した者と思われる。
 そこに駆け込んでくるのは、披露宴から逃げ出した花嫁(土居)。「安らけき寿を捨て」という歌が歌われるが、これは間違いなく安寿の転生である。しかし、この場面では新婦はずっと床下に隠れたままで、殆ど場面に絡んでこない。
 さらにここには、突然左官(コビヤマ)が登場する。これは何を象徴するのか? 「逃げてゆかねばならぬ気がする。」という台詞から、これは厨子王の転生した者であろう。
 この3人の不思議なかけ合いがあり、その後、1幕でも出てきた手鞠歌「らいしょらいしょ」と「百九番目の除夜の鐘」をはさんで、「山椒大夫」で夢の中で脱出を試みた姉弟が、額に十文字を焼き付けられたというエピソードから想を得たと思われる「十文字」を経て、中島は白装束になり、赤い鉢巻きで目隠しをして、母の歌「ほうやれほ」を歌う。
 「山椒大夫」ではラストシーンに近い部分にある場面だが、このあたりの中島の歌は凄みがある。
 ここでストーリーは大きく反転。「十二天」で天から光が差し、「赦され河、渡れ」で劇場の天井から大きな船が降りてくる。
 白装束の安寿と厨子王が船に乗り、夜へと漕ぎ出す。この歌は力強く歌われる。
 そして船が去った後、場面は「今晩屋」になり、中島が「今晩屋」になり、1幕でも歌われた「夜いらんかいね」を歌う。因みにこの歌に呼応するのは「夜をくだされ」という歌である。これも1,2幕どちらでも歌われる。
 そして、ラストの「天鏡」。朗々と歌い上げる中島。まさにクライマックスという感じである。
 印象的な歌が多かった今回だが、やはりこの歌が一番ぐっときた。

 今回の「夜会」は、それまでの「夜会」がストーリー重視になり、ともすれば歌は物語を薦めるための「道具」になってしまっていたきらいがあったものを、軌道修正したのではないかと、個人的には思っている。
 登場人物同士の会話は全て日常会話ではなく、一遍の「詩」を順番に読んでいるという感じだった。また、「らいしょらいしょ」のような手鞠歌で登場人物がバスケットボールのようにパスをし合ったり、その手鞠(紙風船?)が次々に舞台に登場しては転がっていったり、ラストシーンでは水が舞台前面にまであふれ出し、そこを白紙の暦(だと思う)が流れていったりと、「絵」で見せる部分も多かった。
 また、ストーリー説明から解放された歌は、一つ一つが印象的な歌詞とメロディで、ある意味、ストーリーという「夾雑物」がなくなって、まさに「夜会」のキャッチフレーズである「みゆきの歌に手が届く」という状態になっていたのではないか。
 歌の中には、「らいしょらいしょ」の
  来生 来生 前生から 今生見れば 来生
  彼方で見りゃ この此岸も彼岸
といった「時間」の概念や、「水」「船」「魚」といった、中島の歌によく見られるモチーフをあつかったものが多かった。
 こうしたことから考えるに、今回は「物語」よりも「詩的」な世界、「山椒大夫」に想を借りて、1対1の対応を巧みに退けながら、イメージを重ねながら歌の世界を紡いでいくというのが中島の意図であったのではないか。
「詩」に一つの解釈はない。読む人が100人いれば、100通りの解釈があってもおかしくはない。
 いや、もしかすると、「解釈」それ自体から自由な、「絵」を鑑賞するようなつもりで見られることを想定したステージングだったのかも知れない。
 その意味では、まさにひとつの「絵巻物」として、今回の「夜会」は完成度の高いものだったと言える。
 勿論、中島自身がパンフの前書きでモチーフを説明したり、「あとがき」を付けたりしなければならない程、ある意味難解だったことは間違いない。これが客にどう受け取られたかは微妙だが、僕としては、「夜会」の一つの完成形を再生し続けていた中島が、新たな「冒険」に乗り出した舞台と捉えたい。
 これまで「夜会」のテーマ曲だった「二艘の船」が歌われなかったのは、その象徴ではないか。

 中島には「24時着 00時発」の‘サントラ’ともいうべき「転生」というアルバムがある。
 是非今回の「元祖・今晩屋」の‘サントラ’にあたるアルバムも制作してほしい。それ程、今回の曲は印象的だった。
 中島の存在感や、様々な声色で歌われる歌はまさに極上で、それだけでも見る(聞く)価値があるものである。

 ストーリーを語るだけなら小説で足りる。歌を聴くだけならコンサートやCDで足りる。
 そのどちらでもない、まさに「夜会」としか呼べないステージ。
 今後どう進化していくのか。中島みゆきは、つくづく目が離せないアーティストである。